23年6月に解散した「BiSH」の元メンバーで、作家として活動の幅を広げるモモコグミカンパニー(年齢非公表)が、自身3作目のエッセー「解散ノート」(文芸春秋)を14日、刊行した。グループの解散が決まったその日から、昨年6月のラストライブまでの3年半を赤裸々につづった一作。素直な気持ちを吐き出すようにつづった今作への思いを聞いた。【望月千草】

「BiSH」を知る、知らないにかかわらず、垣根を越えて人の支えとなる一作になって欲しい-。モモコは、今作にそう願いを込めた。

「どんな人でも明日何が起こるのかとか、大切なものがなくなるって日常的に起こりうるもの。私は『BiSH』という大きなものが自分から剥ぎ取られた時、何が残るんだということばかり考えていました。そういう葛藤の日々って私だけじゃなくて、たくさんの人が考えていることかなと」

酸いも甘いも味わった。書き始めたばかりの頃は、あくまで自分のための“回顧録”。書籍化のきっかけは突如受けた「解散宣告」だった。

「自分の今後の人生とか毎日が当たり前じゃないな、と。価値ある日々だと思って書き始めました」

「書いて残す」ことは自分が「一番素直になれる」手段という。解散後の将来、容赦ないSNSの声、自己嫌悪、グループ活動と小説家の両立、アイドルとしての苦楽。当時の心の機微を素直につづったが、1つ強調する。

「暴露本じゃないんです(笑い)。この時実はこうだった、こんな新事実が、とかではなくて。1人の人間の人生。周りからもらった言葉とか忘れたくない景色を書いています」

形容するなら。

「“闘病記”が一番しっくりきます。解散が“病”だとすると、向き合った日々を書き残したので。BiSHを知らない人でも知っている人でも、支えになる本って思ったので、世に出したいと思いました」

こだわりは「リアルタイム」で書いたこと。愛用のノートやパソコン、手元のスマートフォン。自宅や遠征先でも、鮮度が高いその日のうちに文字に残し、感情を“保存”した。

「振り返って書くことはしませんでした。過去のことって美化されたりするじゃないですか。そういう後々の色付けみたいなものがないのが、この本の強みかなと思います」

幼いころから文字で表現することが好きだった。書くことの楽しさを覚えたのは小学生のころ。

「小4くらいから詩は書いていて、物語を作るのが好きだなと思ったのはもう少し前。国語の授業とかで物語を作るのが好きで。先生が褒めてくれたりしたんです。ミヒャエル・エンデの『モモ』という児童文学があって、小学校4、5年生くらいに感想文みたいなのを書いたときに、学年新聞に1回載りました。書く楽しさみたいなのは、そういうところで知ったのかもしれません」

アイドル活動は15年から8年間。それまでは芸能界と交わったこともない、普通の大学生だった。

「学校で目立つこともなかったですね。こういう仕事をしていますが、自分は本当に普通。たくさん劣等感を感じたりもしました」

昔から人よりのみ込みが遅い、不器用な性分を自覚することも多かった。

「(BiSHの)初のステージでは全然声が出なくて息しか出せなかった。お客さんと目も合わせられない。劣等感はみんなが1だったら、わたしはマイナスから始まってました。努力しないとできなかった」

ただ、純粋に負けず嫌い。「BiSHが好きだから」を原動力に、劣等感とも解散とも闘い続けた。最後は東京ドームという全アーティストの憧れの場所に立った。

「苦しかったこととかも、ちゃんと自分の中でかみ砕いて大切な時期だったと思えています。私でも東京ドームに立てたからみんなもちゃんと生きられるよ、と思います」

作家として5作目。苦楽を乗り越え生まれた“応援歌”を届ける。

「子どもの時って将来に夢や希望を持ったりしますけど、大人になって大企業勤めの安定している人だとしても、どうやって生きたらいいかとか答えなんて分からないと思う。日々模索している人が大半なんじゃないかと思っていて。そういう人たちそれぞれに背中押せたり寄り添える本になったらいいな」

◆モモコグミカンパニー 9月4日生まれ、東京都出身。国際基督教大学卒。15年に結成されたグループ「BiSH」のメンバーとして活躍し、23年6月29日のラストライブをもって解散。グループ在籍中は17曲を作曲した。作家としては小説2作、エッセー2作を出版。ワタナベエンターテインメント所属。148センチ、血液型O。

■モモコグミカンパニーの作品一覧

◆18年3月 エッセー「目を合わせるということ」(シンコーミュージック)

◆20年12月 エッセー「きみが夢にでてきたよ」(SW)

◆22年3月 小説「御伽の国のみくる」(河出書房新社)

◆23年7月 小説「悪魔のコーラス」(河出書房新社)