4人組バンド、スターダストレビュー(スタレビ)が、22日にデビュー40周年記念アルバム「年中模索」を発売する。
リーダーでボーカルの根本要(63)がこのほど、日刊スポーツの取材に応じ、アルバムや40年間の活動について、そしてコロナ禍のエンターテインメント界に携わるものとしての“こだわり”を大いに語った。
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デビュー40周年記念アルバムはベスト盤ではなく、あくまでもオリジナル盤にこだわった。「最初から強い思いがあったのは、ベスト盤より面白いものを作ろうということ。『なんだこれ? 40年もやっていたら、もう少しまとめようなかったの』というような、飛び出たアルバムを作りたかった。だから、“素晴らしいアルバム”を作ろうなんて思っていなくて“面白いアルバム”を作ろうと。10人いたら好きな曲がみんな違うようなアルバムを作りたかった」。
「年中模索」はある意味スタレビらしい“とがった”アルバムだ。激しいロック曲の1曲目からいきなりバラードへと続く。「メンバーと一緒にある程度聞きやすい曲順を作った。スタレビらしい『センタクの人生』が1曲目だったけど、僕は聴きやすさと裏腹に別の位置に入っていた(本作の)1曲目とか2曲目がとがり過ぎているなと感じた。だったら、聴き応えがある曲から聞かせちゃえということで、この曲順になった」。
「おとなの背中」は現代の大人たちへのメッセージソングだ。「ここ2年くらい、社会にある程度影響力のある人たちの発言に違和感がある。大人が責任を取らなくなっていると感じていて、これを子供がまねしたら、言い訳ばっかりするじゃんてね」。何かを批判する時には、絶えず「自分はどうなんだ」を自分に突き付ける。「それがないと、批判に値しない。それで自分を見ると、『俺もそうだ』と(笑い)。だからこそ、『もっと自覚を持とうぜ』と。大人は偉いんだから、ちゃんと言うべきなんです。もちろん、それが間違うこともある。その時はしっかり謝ればいいし、責任を取ればいいだけのこと。それをうやむやにして、後は知らぬ存ぜぬでいくことこそ、大人の一番の恥。このアルバムで一番伝えたいことですね」。
1曲目「働きたい男のバラッド」はこのコロナ禍に、「もっと歌いたい!」という思いをぶつけるような曲にも感じられる。
「時期的にね。でも、あの歌詞を書いたのは20年以上前。バブル真っただ中の企業戦士を僕らなりにたたえようという思いで書いたけど、当時のメンバーやスタッフに『サラリーマンをやったことないやつにこんなこと言えないんじゃない』と言われてボツになった。それをずっと持っていた。ここ何年か働き方改革とかで、好きなだけ働けない時代になったけど、僕らは作品が完成するまでずっとやっていたいんですよ!(笑い)」
本作で根本自身、最も成長したのは歌詞だという。TVアニメ「ゲゲゲの鬼太郎」エンディング曲を書いたことがきっかけになった。「鬼太郎の在り方を考えた時、悪を成敗するんだけど、その悪の捉え方がヒューマンというか慈悲がある。その慈悲を考えたことで、あの歌詞ができた。そういうものを意識しなかったら、今回のアルバムには至ってなかった。いいタイミングであの曲を書かせて頂きました。そういう巡り巡った40周年だった。ベスト盤を作らなくて良かったと思うね(笑い)」。
スタレビは81年、アルバム「スターダスト・レビュー」でデビュー。94年にメンバー脱退はあったが、40年間走り続けてきた。バンド存続の秘訣(ひけつ)は“解散しないこと”だという。「解散しなきゃ続くんです。それだけ(笑い)。僕らはアマチュアの頃から同じ5人でずっと活動して、94年に三谷(泰弘)くんが辞めるんだけど、(デビューからの)この10何年間ぐらいは、誰かが辞める時は解散する時だと、ずっと言い続けてきた。それがいざ辞めた時に、もう僕の意志では決まらないと思った。僕らは解雇されるだろうと思っていたんです。でも、その時のスタッフが、バンドは続けようと言ってくれた。三谷君も『続けるべきだ』みたいなことを言ってくれた」。
メンバー脱退で根本の在り方は変わったが、バンドは存続した。「デビューの頃から僕がずっとリーダーシップを取って来たけど、音楽性は途中から三谷くんに任せていたところもあった。彼が辞めるんだったら、前よりも強い力で僕がイニシアチブを取る。そうしないと、またこういうことが起こるから。あの時、彼が辞めるんだったら僕も辞めると言ったら、今、スタレビはない。だから、辞めると言い出さなければバンドは解散しない。それだけです」。
40年間で最もつらかったことは何だろうか? 「三谷くんが抜けると決まった時のツアーはつらかった。今だから言っちゃうけど、あの時ファンには隠してツアーを回っていた。バンドにとっても、先がないあのメンバーでのツアーは、学習するものが個人でしかない。でも、お客様はスタレビを楽しんでくれた。だから、『また、この街に来るよ』とは言えたけど、『次もこのメンバーで来る』とは言えなかった。あれはつらかった。だからもう、そういうことがないようにという思いはあるし、もしあったとしても、ちゃんとここに関わった人間全てがうなずけるような策を取らなきゃいけないということをリーダーとして常々考えています」。
02年に大手事務所から独立するが、これも大きな転機となった。「独立してからは、僕の中で『バンドはかくあるべき』みたいなポジションをちゃんと作ったつもり。だから僕自身、ほぼ理想的な音楽活動ができている。スタレビの02年からの活動は、本当に自分の理想像なんです。おかげで、やりたいことがどんどん出て来ています!」。
18年には脳血栓で入院するが、早期発見だったこともあり、約2週間で退院した。「運が良かった。嫁さんの早い対処のおかげです。後になって、僕はこんなに心配されているんだと思った。皆さんの心配度に比べて自分がぴんぴんしていることに、何だか申し訳なくなって(笑い)。ファンから、旦那さんが倒れたけど早期発見できたとメールが来て、僕が倒れたことも無駄じゃなかったと思うし、僕にとっても体を休められたし、自分たちのペースを見つけられるようになりました」。
コロナ禍のエンターテインメントに携わるものの在り方についてもこだわりがある。「僕らは音楽というエンターテインメントで、夢とか希望を売るのが商売。だから、『いつまでやめます』ではなく『いつから再開します』という言い方が必要だと思う。だから、僕らは10月からツアーを再開します! 多少時期がずれても、何月からやりますと言うことこそが、僕らの使命だと思う。少なくともエンターテインメントにいる限りは、言葉遣いも考えようという思いはあります」。
「年中模索」というアルバムタイトルには、“コロナ禍だからこそ”の思いも込められている。「40年たっても、僕らはいつだっていろんなことを模索しているから『年中模索』なんだけど、決して『暗中模索』ではない。コロナについても、未知のウイルスだから答えは出ないもしれない。でも悩み考えることが経験値を増やし、最善の方法を見つけるための道なんじゃないかなという思いはあります」。
コロナ禍で、以前のようなライブが出来ない状況。配信という新しい手段をたたえつつも、同時に警鐘を鳴らす。「極端なことを言えば、配信は音楽の持てる力の2割しか使ってないと思う。そういうことを誰かが言わなくてはならない。『音楽はもっとすごいんだ』『ライブはもっとすごいんだ』と言っておかないと、配信に慣れてしまうとみんなが音楽を誤解してしまう。僕は、ライブはお客さんと向き合ったキャッチボール、コール&レスポンスで作り上げるものだと思っているから、やっぱり不完全なものだと言わざるを得ない」。
スタレビは今後どのような道を歩むのだろうか。「スタレビって変なバンドなんです。『木蓮の涙』は知っていても、スタレビの名前を知らない。そういう曲が4、5曲あれば売れているということなのかもしれないけど、だからこそスタレビはとっても面白いところにいると思う。10月から100公演のツアーを予定しているけど、108公演して煩悩を落としていこうかなと(笑い)。このツアー中のどこかで40周年ライブもやりたいですね」。
8月30日には、東京・日比谷野外音楽堂で新型コロナ対策ライブ「こんなご時世、バラードでござーる」を行う。「コロナを全く無視することはできないし、かといって不安ばかりに行くこともイヤ。ガイドラインがあるのなら、それに基づいてお客さんも入れてやろうと。僕らはエンターテインメントに界にいるので、僕らなりの遊び方で遊んで行こうと思っています」。
◆スターダストレビュー 81年にアルバム「スターダスト・レビュー」でデビュー。当時は根本要(ギター、ボーカル)柿沼清史(ベース)寺田正美(ドラム)林紀勝(パーカッション)三谷泰弘(キーボード)の5人だったが、94年に三谷が脱退。これまでに42枚のアルバムをリリースし、2400を超える公演を行ってきたライブバンド。01年8月に「つま恋100曲ライブ」で101曲を演奏し、「24時間で最も多く演奏したバンド」としてギネス記録に認定された。