【無心の内角攻戦(15)】1992年に5年間、指揮を執った仰木彬監督が退任し、93年から鈴木啓示さんが新監督になられました。やり方が急にそれまでと全然違ったんです。あれやれ、これやれ、と言ってくる。でも自分たちは今までのやり方でやっていくと。ランニングでもアップシューズでやっていたのを「スパイクでやれ。俺はそうやったんだ」と押し付けてくる。今まで放任されていた部分が「口ごたえするな」みたいな…。

 あと、えこひいきが見えたりとか。同じことをしているのに、この選手に怒る、この選手には何も言わない。人によって扱いが違うというのが出ると、周りが反発だらけになるでしょ。選手との壁ができ、使われ方も「なんでこんなところで代えられるんだ」ってボールをバーンとやる選手も…。吉井理人さんもトレードされましたもん(笑い)。

 みんな仰木さんで育ってきたメンバーなので自由にしていたのが制限され、小言が増えて、コーチ陣の雰囲気も変わってきた。不協和音だらけになっていたのを佐藤道郎投手コーチがだいぶ防波堤になってくれていたと思います。監督の「なんでやっていないんだ」「やらせろ」というのを止めてくれていたんじゃないですかね。監督派なんて一人もいなかったですよ。一、二軍の入れ替えだって「え、なんで俺?」みたいなのがよくあった。鈴木さんも頑固だから折れるわけないし、選手と首脳陣の間に完全に溝ができていました。

 意識改革が起きていた立花龍司さんのトレーニング法も鈴木さんにしたら「なんじゃこりゃ」みたいなものだったでしょう。理解できなかったんじゃないですか。かつて僕らにあった「権藤博さんを胴上げしたい」みたいな気持ちなんかまったくない。優勝メンバーがどんどん外に出され、立花さんも93年に退団していきました。もうどうしようもない。

 野茂英雄についてはエースだし、やってもらわないと困ると思っていたはずですが、野茂には入団時に「フォームを触らない」との条件があった。でも制球難や肩の調子がよくないということで、鈴木さんが触ろうとしたんです。普通なら触らないでしょ。結果が出なくなるといじられやすいんですよね。野茂もその辺は従順ではないからどちらも歩み寄ろうとしない。鈴木さんは自分の言うことが一番。西本幸雄さんのもとでやられてきたわけだし、監督というのは絶対という考え方。それを今のプロ野球選手が従順に反応してくれるのか、と言えばできるわけない。そんな時代じゃなくなっている。

 世間的には野茂と球団の確執と思われているかもしれないけど、選手と首脳陣の衝突であって、選手間同士は何もないんです。94年、野茂は後半に右肩痛で戦線離脱し、リハビリに入った。以前からメジャーに行きたいと言っていた野茂は…。

 ☆やまさき・しんたろう 1966年5月19日生まれ。和歌山県新宮市出身。新宮高から84年のドラフト3位で近鉄入団。87年に一軍初登板初勝利。88年はローテ入りして13勝をマーク。10月18日のロッテ戦に勝利し「10・19」に望みをつないだ。翌89年も9勝してリーグ優勝に貢献。95年には開幕投手を務めて近鉄の実質エースとなり、10勝をマークした。98年にダイエーにFA移籍。広島、オリックスと渡り歩き、2002年を最後に引退した。その後は天理大学、天理高校の臨時コーチや少年野球の指導にあたり、スポーツ専門チャンネル「Jスポーツ」の解説も務めている。