1966年に「恋の終列車」でデビューし、世界的人気を集めたロックバンド、ザ・モンキーズのギタリスト兼ボーカリストのマイク・ネスミスさんが10日(日本時間11日)、心不全のためカリフォルニア州カーメルバレーの自宅で死去したことを複数の海外メディアが報じた。78歳だった。米「ローリング・ストーン」誌によると家族は「今朝、自宅で家族に囲まれる中、安らかに息を引き取った」との声明を出したという。

 ネスミスさんは1942年テキサス州ヒューストン生まれ。66年には当時、全盛期だったザ・ビートルズに対抗する米バンドを発掘するために行われたオーディションに合格。テレビ番組向けのための4人編成のバンド、ザ・モンキーズを結成して「ザ・モンキーズ・ショー」で爆発的人気を呼んだ。

 全米1位を記録したデビュー曲以外にも、67年の「アイム・ア・ビリーバー」「デイ・ドリーム・ビリーバー」も1位を記録。「恋はちょっぴり」「プレゼント・バレー・サンデー」などの大ヒット曲を量産。アルバムもファーストから4枚連続で全米1位を記録した。「ザ・モンキーズ・ショー」は68年に終了し、バンドは70年に解散。その後もプロデューサー、映画監督などとして幅広く活躍した。

 当時は「作られたバンド」との声もあったが楽曲のレベルはいずれも高く、解散後は再評価を受け、約10年周期でリバイバルブームが訪れていた。16年には20年ぶりとなる再結成アルバム「グッド・タイムス!」を発売。全盛時と変わらないメロディーを復活させ、高評価を得ていた。

 このアルバムを機に改めて再評価の機運が高まり、ここ数年はドラムス兼ボーカルのミッキー・ドレンツと活動を再開。11月14日にはロサンゼルスで最後のツアー「フェアウェル・ツアー」を終えたばかりだった。

 ドレンツはツイッターで「親愛なる友人とパートナーを失ってしまいました。ここ数か月は一緒に歌ったり、笑ったり、しゃべったりするのが大好きなことをすることができて、とても感謝しています。特にジョークをとても恋しく思う。ネズ、安らかに」と哀悼の意を表している。

 ちなみに元RCサクセションの故忌野清志郎さんは89年にタイマーズで「デイドリーム・ビリーバー」を日本語でカバー。日本語ロックのスタンダードナンバーとなっている。