その名も「世界で一番美しい少年」というドキュメンタリー映画が公開中だ。

15歳の時に巨匠ルキノ・ヴィスコンティ監督の「ベニスに死す」で主人公の美少年を演じ、世界的に注目されたビョルン・アンドレセンのその後の50年を追った作品だ。

キリストのような風体になり、ほこりの舞うアパートに住む現在のビョルンは決して幸せそうには見えない。映画は突然の名声に戸惑い、やがては「美少年」の短い期間をさまざまな形で「消費」され、疲弊していく彼の姿を浮き彫りにする。彼が日本に来たときの映像も盛り込まれ、「ベルサイユのばら」のオスカルのモデルにしたという漫画家の池田理代子さんや、日本で歌手デビューした彼の曲をプロデュースした故・酒井政利さんも証言者として登場している。

「ベニスに死す」が公開された71年は、もう1人の美少年、当時13歳のマーク・レスターが主演した「小さな恋のメロディー」が日本公開された年でもある。当時中学生だった私は、女性たちがざわざわしていた「金髪美少年ブーム」を人ごとのように眺めていたが、大学生になってからリバイバル上映で見た「ベニスに死す」のビョルンの強烈な美しさにハッとしたことはよく覚えている。

いわば破滅的な人生を送ることになったビョルンとは違い、レスターの方は19歳で俳優業に見切りをつけ、整骨にまつわる種々の資格を取得して安定した生活を送ってきたようだ。90年代には日本のバラエティー番組で「小さな-」で共演したトレイシー・ハイドとの対面を果たすなど、「後日談」も提供してくれた。

一方で、マイケル・ジャクソンが彼の大ファンだったことから親交があったのは知られた話で、マイケルに精子提供をしたり、その死の1週間前に電話で話したことを、レスターは英メディアに明かしている。少なくともマイケルの子どもたちの洗礼式に出席して代父母(ゴッドファザー)になったのは事実である。

こちらも伝説のMJまで絡み、その半生は一編のドキュメンタリー映画になりそうな起伏に富んでいる。