【中国・北京発】驚異の17歳だ。北京五輪のスノーボード女子ビッグエア決勝(15日、ビッグエア首鋼)、村瀬心椛(ここも=17、ムラサキスポーツ)が合計171・50点で銅メダルを獲得。2010年バンクーバー五輪フィギュアスケート女子銀メダルの浅田真央(当時19歳)を抜き、冬季五輪の日本女子最年少メダリストとなった。中学時代に世界最高峰のXゲームで優勝しながらも、右ヒザの負傷で半年以上の戦線離脱を経験。そんな苦楽を味わった若きヒロインの驚くべき少女時代とは――。

 目に浮かぶ涙は達成感からだった。表彰台に立った村瀬は「信じられなくて」と切り出すと「家族、友達、スポンサーの方々とか、私だけで取ったメダルではないので皆さんに感謝しかない。ありがとうございました」と感謝の言葉を口にした。

 この日は1回目にバックサイドのダブルコーク1080を成功させて80・00点、2回目はフロントサイドのダブルコーク1080を完璧に決めて91・50点をマーク。「フロントはめっちゃ飛んで、グラブ(ボードをつかむこと)を長くしてビタビタに着(ちゃく)ってやろうという気持ちで挑んだ。それができてあの点数が出たのが本当にうれしかったです」と納得の表情だった。

 4年前、13歳で世界最高峰のXゲームを制覇。史上最年少Vを果たし、世界にその名前をとどろかせた。ところが、同年に右ヒザに大ケガを負ってしまい「半年以上、全然スノーボードを滑れていなくて。みんな練習しているので、本当に悔しかった」と振り返る。それでも懸命なリハビリとトレーニングで雪上に帰ってきた。

 その村瀬について、スノーボードで五輪4大会出場の藤森由香氏(35)は大会前に「小学生のころから知っているんですけど、他の子たちとは全然違うなと思って見てました」と話していた。いったい、どういうことなのか。

「お父さん、お母さんが口出ししない。他の子は親にこうしなさい、ああしなさいと言われることが多い中、心椛は自主的にこれがやりたい、あれがやりたいと言うタイプ。目的意識がしっかりあって『練習に行きたいから連れてって』という感じですね」

 藤森氏は続ける。「コーチも常にいるわけではなくて。この技を練習したいから、お金を払ってコーチに来てもらうという形なんですね。それも心椛が言うから両親がそれに賛同していたようです」。自ら課題を見極め、強化方法もほとんどセルフプロデュース。今に至る土台をつくり上げた。

 また、藤森氏はケガによる戦線離脱がさらに村瀬を強くしたと分析。「その期間に体づくりや体幹(トレーニング)をしっかり積み重ねてきた。それから気持ちの部分。(状態が)すごくいい時期のケガだっただけに、ちょっともったいなかったなという思いもありましたが、メンタル面のつくり方、情熱の育て方にうまくつながったのかなと。現在の恐怖心を感じさせない滑りも心が強いなと感じましたね」と語った。

 今回のメダル獲得で冬季五輪では日本女子最年少記録を更新。若きヒロインは「あんまり気にしてなかったんですけど。さっき聞いて、うれしくて『えっ、最年少なの?』って(笑い)。最年少でメダル取れたのはすごくうれしいです」と喜びをかみしめた。持ち前の〝自己解決能力〟でさらなる成長を続け、次は世界の頂点を取りにいく。