西郷輝彦さんの訃報に、多く歌手や俳優仲間が悲しみに暮れた。御三家として一時代を築いた橋幸夫(78)は連絡をしなかったことを悔やみ、舟木一夫(77)はショックで言葉も出なかった。歌手を夢見て、ふるさと鹿児島を飛び出した。曲折を経て歌手、俳優として成功した。芸名の由来となった郷土の偉人・西郷隆盛のように、壁を克服して生きた人生だった。

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西郷さんは橋幸夫、舟木一夫と御三家として一世を風靡(ふうび)した。西城秀樹さん、野口五郎、郷ひろみが新御三家と呼ばれたゆえんでもある。3人に同時期の人気歌手・三田明(74)を加えて四天王とも呼ばれた。

橋はビクターから60年に「潮来笠」で、舟木は日本コロムビアから63年に「高校3年生」でデビューした。西郷さんのデビューは64年で“末っ子”だった。

テレビ創生期で、後発の西郷さんは所属の日本クラウンの戦略で、1カ月間に20回以上音楽番組に出演。2人に追いついた。

3人とも秒刻みの多忙さで、共演は夢物語といわれた。ただ和服の橋、学生服の舟木、ポップス系の西郷さんと、作品のテーマなどはそれほど競合しなかった。グループサウンズブームなどで、御三家人気に陰りが見えても、3人それぞれが自分のフィールドで活躍できた。50代となった00年に3人で全国ツアーを開催。御三家復活にどの会場も満員となった。

橋はこの日、厚木市文化会館でのコンサート後、取材に応じた。「訃報はコンサート前に聞きました。最後に会ったのは仕事で一昨年かな。西郷君は明るい九州男児で言うことは言った。3人とも忙しくて飲みに行くことはなかった。病気というのはうわさで聞いていました。電話すればよかった…」と悔やんだ。

舟木は訃報を聞きコメントを出せないほどショックを受けているという。公私に親しく、20年に西郷さんのデビュー55周年記念公演に友情出演することになっていたが、コロナ禍で中止となった。関係者は「舟木さんはそれを非常に残念がっていた」と話した。

 

◆西郷輝彦(さいごう・てるひこ、本名・今川盛揮=いまがわ・せいき)1947年(昭22)2月5日、鹿児島県生まれ。64年に「君だけを」で歌手デビューし、同曲と「十七才のこの胸に」で日本レコード大賞新人賞を受賞。同名映画で銀幕デビュー。66年には「星のフラメンコ」がリリースから2カ月で50万枚を売り上げる大ヒット。73年のフジテレビ系ドラマ「どてらい男」に主演し、俳優業に挑戦。デビュー30周年を迎えた94年に「別れの条件」で歌手活動を本格再開。