【長嶋清幸 ゼロの勝負師(9)】1979年、静岡自動車工高からドラフト外で広島に入団した。同級生でドラフトで入った選手たちは有名どころの高校だから周りも知っている。入団発表でみんなと顔を合わせた時、「はじめまして!」とあいさつした後で「ところで髪の毛どうする?」って聞いたんだよ。当時の広島の選手はアイパー、パンチパーマが主流だし、入寮の時にはそんなふうにしたほうがいいのかと思って聞いたら、みんなも「やるよ」「それでいくよ」って言っていた。なのに…。

 後日、パンチパーマをパンパンに当てて寮に行ったら、みんなスポーツ刈り。「え~! どういうこっちゃ」と聞くと「いや、俺はやるつもりだったけど、親が反対してな」なんて言うし…。そうしたら寮長がこっちを見て「その頭はなんじゃ~。まだ入団もしてないような鼻くそが~。そこの散髪屋に行って坊主にしてこい!」ってえらい怒られて、また散髪屋に行く羽目になった。

 また坊主か…。高3で夏の大会が終わって髪の毛を伸ばし、アイパーをかけたら学校に怒られてまた坊主にさせられ、結局3年間で一度も長髪にできなかった。長髪にあこがれてやっとプロに入ったと思ったら、また坊主からスタート。

 山本浩二さん、衣笠祥雄さんなんて雲の上の人。寮には高橋慶彦さん、北別府学さんもいてスターのオーラがすごかった。あいさつだけで話もできなかった。当時の広島はパンチパーマでいかつい選手が多かったけど、血の気が多い人は意外と少なくて、みんな冷静な印象だった。福士敬章さんみたいに以前は気性の荒かった人もいたみたいだけど、浩二さんも衣笠さんもすごく冷静な人。俺は分からないことを積極的に聞きに行くタイプだったし、試合に出られるようになったら、自分の考えも言ったし、かわいがられたほうだと思う。

 野球は状況判断。浩二さんは何かあったらすぐに「あそこはこうしたけど、こうしたほうが良かったんじゃないか」とかコーチが言ってくれるようなことを言ってくれた。打撃に関してはすごく困った時に言ってくれて、そのアドバイスが手短ですごく重い。左右の違いはあっても、どれだけその人たちから吸収して自分のものにできるかだったと思う。衣笠さんは分かりやすく話し上手な人で、心の底の底まで話してくれるようなね。技術的にも精神面も。キャンプで部屋が一緒になったことあるんだけど、酒グセと寝相は悪かったかな(笑い)。

 あの人たちは春季キャンプでも午後になると球場を引き揚げていたので血のにじむような努力をする姿は見たことない。主力はシーズンに向けての調整であって、俺らはシーズンに生き残れるかの調整。もちろん若いころはやっていたと思うけどね。そんな中「すごい」と思ったのは慶彦さん。若手時代に誰の背中を見たかといえば慶彦さんだった。

 ☆ながしま・きよゆき 1961年11月12日、静岡県浜岡町(現御前崎市)出身。静岡県自動車工業高から79年ドラフト外で広島入団。83年に背番号0をつけて外野のレギュラーに定着し、ダイヤモンドグラブ賞を受賞。84年9月15、16日の巨人戦では2戦連続のサヨナラ本塁打を放って優勝に貢献し、阪急との日本シリーズでは3本塁打、10打点の活躍でMVPに輝く。91年に中日にトレード移籍。93年にロッテ、94年から阪神でプレーし、97年に引退。その後は阪神、中日、三星(韓国)、ロッテでコーチを続けた。2020年に愛知のカレー店「元祖台湾カレー」のオーナーとなる。