【長嶋清幸 ゼロの勝負師(12)】 長嶋茂雄さんと同じ名字ということで、小さいころから周りにも言われたし、長嶋さんはスター選手ですごい存在の人って思っていた。でも阪神ファンだったからテレビで見ながら「巨人だからルールを有利にされてるんじゃないか」なんて思っていたよ。エリート集団だし、巨人あってのプロ野球なんだなって。同じ名字でこんなに違うんかいって。

 そんな自分もプロになって1年目、長嶋巨人と対戦することができた。後楽園球場の巨人戦で代打で出た時、「代打・長嶋」ってアナウンスされたら相手ベンチの長嶋監督が身を乗り出した。広島ベンチもそれを見ていて「今、長嶋さんが出ようとしたぞ。お前なのに」って。その時の相手投手は江川卓さんだし、自分のことで精一杯だから見ている余裕はないよ。

 初めて話したのは、長嶋さんがユニホームを脱いで解説をされていた1986年、春季キャンプで宮崎・天福球場に来られた。前日にマネジャーが来て「明日、長嶋さんがお前の打撃を見たいらしいぞ。特打を組むから」って。古葉竹識監督が長嶋さんと電話で話して「ぜひ、ウチの長嶋を指導してあげてくれ」と頼んだみたいなんだよ。まじかー(笑い)。しかも打撃投手も長島(吉邦)さんだった。

 長嶋さんは人を言葉で躍らせることができる。緊張の中で特打が始まると、いつもの口調で「うーん、いいねえ、いいねえ」「ちょっとストップ!」「下半身ねー。早めにキュッと」なんて言うんです。理論は一切なくて、ジェスチャーと言葉だけ。「このまま続けて」「グッド!」…。いつもの1球に入る気持ちが30球分くらいに感じた。それを何十球と連続で「続けて、続けて」だから打撃投手の長島さんもヘトヘト、フラフラ。

 そんな中でもいいスイングができたんだ。言葉で踊らされちゃうというか、それがあの人の力、直感の人なんだろうね。特打って長くても30分くらいなのに1時間20分くらいやっていた。こっちから何か質問する余裕なんてないよ。

 もちろん、他の選手も全体練習で見ているんだけど特打は俺一人。あとで古葉監督に「なんで僕だけだったんですか?」と聞いたら「今、プロ野球に携わっている人間の七不思議がある。お前ほどの打撃技術があって、なんで3割が打てないのか」と。それを長嶋さんに解決してもらおうということだった。そこから打撃が良くなったかというと…難しいというか。でもあの時、あれだけ褒められて乗せられて、あんな気持ちで打撃をしたことはなかった。

 翌年、その長嶋さんからキャンプ地に自分に陣中見舞いが届いた。ウイスキーのオールドパー。それも山本浩二さん、衣笠祥雄さん、高橋慶彦さん、北別府学さんと、選ばれた人だけ。俺も別格に入った! これは家宝ですよ~。

 ☆ながしま・きよゆき 1961年11月12日、静岡県浜岡町(現御前崎市)出身。静岡県自動車工業高から79年ドラフト外で広島入団。83年に背番号0をつけて外野のレギュラーに定着し、ダイヤモンドグラブ賞を受賞。84年9月15、16日の巨人戦では2戦連続のサヨナラ本塁打を放って優勝に貢献し、阪急との日本シリーズでは3本塁打、10打点の活躍でMVPに輝く。91年に中日にトレード移籍。93年にロッテ、94年から阪神でプレーし、97年に引退。その後は阪神、中日、三星(韓国)、ロッテでコーチを続けた。2020年に愛知のカレー店「元祖台湾カレー」のオーナーとなる。