【取材の裏側 現場ノート】日本代表監督を務めたイビチャ・オシムさんが5月1日、オーストリア・グラーツで亡くなった。享年80。2006年に惨敗したドイツW杯後、日本代表の監督に就任し、07年に脳梗塞を発症し、退任するまで日本サッカーの強化に尽力した世界的な名指導者だった。

 そんなオシムさんが日本代表監督を務めていた当時、日本サッカー協会のスタッフは自由奔放な指揮官に困惑していたという。Jリーグの視察で地方都市に車で出向いた際のこと。途中で道の駅を見つけると「ちょっと止まれ」と言うと、地方物産を物色し、屋台でつまみ食いした上でご当地野菜や魚を〝大人買い〟。試合開始に間に合わなくなると伝えても「まだ大丈夫だろ」と商品を吟味し続けた。

 結局、スタジアムへの到着は試合開始ギリギリになることが多く、同行したスタッフは「オシム監督が試合に遅刻とか書かれなくて良かった。キチンと送り届けるのがスタッフの仕事だから」と話すように毎試合、ドキドキだったそうだ。視察を終えて、オシムさんとの別れ際には「ほら」と自らが買い込んだ商品をおすそ分けしてくれるなど、スタッフへの配慮も欠かさなかったという。

 そんな気配りを見せる一方で、頑固な面もあった。初めての日本代表メンバー発表の記者会見では通常23人のメンバーを選ぶところ、わずか13人しか選出せず「選べなかった」と開き直り、試合に向けてテレビ局のインタビューを受けた際に「ファンへひと言」と問われると「何でそんなことを言う必要があるんだ?」と難色。テレビ局は番宣用のコメントを求めており、同行した協会スタッフも困惑し「オシムさん、お願いします」と頭を下げたが、最後まで拒否したそうだ。

 エピソードには事欠かないように、当時のスタッフは「選手よりも手がかかる」オシムさんに振り回されることも多かった。そんな指揮官がサッカー以外に熱中したのは「数独」だ。3×3のブロックに区切られた9×9の枠内に1~9の数字を縦、横で重ならないように入れていくパズルゲームだが、移動中や待機中などに文句を言いがちなオシムさんに渡すと「集中して解くのでおとなしくなる」という。
(サッカー担当・三浦憲太郎)