未発表ライヴ『ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス:ライヴ・アット・ザ・ハリウッド・ボウル1967』、11月10日世界同時発売

ポスト
(C)Brian T. Colvil

『ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス:ライヴ・アット・ザ・ハリウッド・ボウル1967』の、ヴァイナル、CD、デジタルの各フォーマットでの発売が、11月10日に決定した。

◆ジミ・ヘンドリックス 関連映像&画像

本アルバムに収められたパフォーマンスは、エクスペリエンスのデビュー・アルバム『アー・ユー・エクスペリエンスト?』の全米リリースのわずか5日前に行なわれたコンサートをライヴ録音したもの。ヘンドリックスと彼のバンドをほとんど知らないオーディエンスの前に立たざるを得なかった時期の、ほぼ最後のコンサートといえるだろう。それ以前の10ヶ月間を通じて彼らは、本拠地としていたイギリスとヨーロッパ諸国を制覇していたのだが、ハリウッド・ボウルに集まった17,000人超のロサンゼルスの音楽ファンは、ヘッドライナーのザ・ママス&ザ・パパスを観に来た人たちであり、ジミ・ヘンドリックスの衝撃的な演奏とショーマンシップに、まさに、度肝を抜かれた。そしてついに、その歴史的なライヴ・セットが、正式な形で世界に向けて公開されることとなったわけである。驚くべきことに、ここに収められた音源は1秒たりとも、これまではいかなる形態でも非公式なものでも、公開されていないものだ。

シアトル生まれのジミ・ヘンドリックスは、1966年9月、ロンドンに渡り、そこで、イギリス人ミュージシャンであるミッチ・ミッチェルをドラムス、ノエル・レディングをベースのリズム・セクションに迎えエクスペリエンスを結成している。そしてこの新バンドは、わずかな時間で大きな成功を手にしてしまう。シングル3曲がトップ10圏内に入り、連日のライヴ・パフォーマンスはどこでもオーディエンスを圧倒。ポール・マッカートニー、エリック・クラプトン、ジェフ・ベックといった大物たちからも絶賛されたのだ。イギリスでのこういった盛り上がりが、リプリーズ・レコードのチーフだったモ・オースティンの耳に届き、1967年3月には、ヘンドリックスの作品がアメリカでもリリースされることが決まる。そしてその3ヶ月後となる67年6月、ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスは、ポール・マッカートニーからの熱心な推薦もあって、<モンタレー・ポップ・フェスティバル>のステージで、衝撃的なデビューを果たしたのだった。

しかし、短時間で手にしたイギリスでの成功がすぐにアメリカでも再現されることはなかった。例えば、最初の2枚のシングルは不発に終わっている。「ヘイ・ジョー」はチャートインすらしなかったし、「紫のけむり」は65位まで達しただけだった。『アー・ユー・エクスペリエンスト?』の全米リリースは8月下旬に予定されていて、まだしばらく先のこと。アメリカでの成功の手がかりを求めてエクスペリエンスは、サンフランシスコのフィルモアで5回連続のコンサートを行ない、つづけて、モンキーズの全米ツアーにオープニング・アクトとして同行しているのだが、ジミは9回ステージを務めただけでこの仕事を降りている。主役のモンキーズだけを求める若い熱狂的なファンたちの反応に嫌気がさしたからだ。この挫折のあと、なんとかライヴ・スケジュールをやり繰りしていたとき、ザ・ママス&ザ・パパスの中心メンバーで、<モンタレー・ポップ・フェスティバル>の共同プロデューサーでもあったジョン・フィリップスが、8月18日にハリウッド・ボウルで開催されるコンサートでオープニング・アクトを務めてほしいと、声をかけてきたのだった。

(C)Brian T. Colvil

ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスは、「紫のけむり」、「風の中のマリー」、まだ未発表の段階にあった「フォクシー・レディ」、「ファイア」といったオリジナル曲を強烈なパワーで演奏し、さらに、ビートルズの「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」、ハウリン・ウルフの「キリング・フロア」、ボブ・ディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」、トロッグスの「ワイルド・シング」、マディ・ウォーターズの「キャットフィッシュ・ブルース」など、彼らが大好きな曲を独自の解釈で聞かせている。しかし、観客の大半は、何ヶ月か前にザ・ママス&ザ・パパスを観るためのチケットを買った人たちであり、彼らとはまったく方向性が異なるジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスの音には馴染めなかった。長くポール・マッカートニーやエタ・ジェイムスのもとでギタリストとして働いたブライアン・レイも、目の前で展開されるパフォーマンスに衝撃を受けたオーディエンスの一人だった。「その日の観客が楽しみにしていたのは、ザ・ママス&ザ・パパス」。レイはそう振り返る。「ジミ・ヘンドリックスの曲は聴いていなかったし、彼の存在すら知らなかった。しかも、アーティストとしての彼の立ち位置はザ・ママス&ザ・パパスとはまったく異なっていた。伝えようとしていることも、身体が表現することも、すべての面で正反対だった。男がステージ登場してくる。バンドは3人だけで、彼らは全員アフロヘア。ワイルドで、キラキラとした印象の、シアトリカルな衣装を身にまとっている。ジミが空気を切り裂くような音を弾く。大音量だけど、音楽的にも素晴らしい。そして彼は、フィジカルな表現を打ち出していく。股の下や背中でギターを弾き、口でも弾いてしまう。床に膝をつき、まるでギターと交わるような動きを見せる。頭を一撃された感じだったよ。なんというか、彼は人間の本能のすべてを表現している、そんな印象だった。美しくて、優雅で、セクシュアルで、暴力性と優しさが混在していた。一人の男を中心にしたバンドが、そのすべてを表現していたんだ。でも、オーディエンスの誰もが僕と同じように受け止めていたわけじゃない。僕と妹は「やられた!」って感じだったけれど、大半は、ちょっと拍手しただけ。なんとか理解しようとしていたんだろう」。

つまり、あまり反応のよくないオーディエンスを前にしたライヴだったわけだが、モンキーズの前座を務めたときの経験で、ジミたちは鍛えられていた。彼らは、すぐ、強力なパフォーマンスに突入していったのだ。

ザ・ママス&ザ・パパスの、唯一の生存メンバー、ミッシェル・フィリップスは、<モンタレー・ポップ・フェティバル>ではじめてエクスペリエンスを観ている。「彼のことはなにも知らなかった」と、フィリップスは語る。「どんな演奏をする人なのか、想像もできなかった。だから、ライヴを観て、ほんとうに驚いたの。あんなもの、目にしたことがなかったから。大切な楽器にひどいことをする人なんて、私たちの周りにはいなかったけれど、彼はギターにライターのオイルをかけて、火をつけたのよ。とにかく衝撃だった。ロックの人たちのシアトリカルなパフォーマンスは経験がなくて、実際に目にしたのも、あのときがはじめてだったの」。しかしそれから数週間後、ハリウッド・ボウルのバックステージで彼と会ったフィリップスは、その魅力的な人柄の虜となってしまった。「大好きになっちゃったの」。ジェフ・スレイトは『ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス:ハリウッド・ボウル 1967』のライナーノーツで、そんな彼女の言葉を紹介している。「彼は紳士的で、可愛くて、とても愉快な人だった」。フォークが原点で、しっかりとした音程で美しいハーモニーを表現することを大切にしてきた彼女にとって、ロックのシアトリカルなパフォーマンスは受け入れがたいものだった。しかし、その考え方も一気に軟化していったのだ。

ハリウッド・ボウルでのコンサートは、ザ・ママス&ザ・パパスにとって最後のステージとなった。一方、エクスペリエンスはこのあと一気にスターの座へと駆け上っていく。翌年にはもう、ヘッドライナーとしてハリウッド・ボウルのステージに立っているのだ。フィリップスはこう振り返る。「ほんのわずかな時間でジミ・ヘンドリックスは、誰よりも熱い注目を集める存在になっていたの」。

エクスペリエンス・ヘンドリックスのチーム(ジェイニー・ヘンドリックス、ジョン・マクダーモット、エディ・クレイマー)は、これまで、この特別な意味を持つアルバムのリリースに向けて準備を重ねてきた。長くヘンドリクスのレコーディング・エンジニアを務めたエディ・クレイマーが新たに発見された音源を修復し、グラミー賞受賞3回のクリエイター、バーニー・グランドマンがマスタリング・エンジニアを務めた。アルバム『ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス:ライヴ・アット・ザ・ハリウッド・ボウル1967』は、CDと、オーディオファイル・グレードの音質で、ナンバリングも施された150グラム・ヴァイナル盤でリリースされる。ブックレットに掲載された写真は、エド・カレフ、ヘンリー・ディルツ、アレン・デイヴォウらが当日撮影したもので、いずれも未発表。ライヴ・パフォーマンスだけでなく、バンドのメンバーがザ・ママス&ザ・パパスや、シーン・メイカーだったロドニー・ビンゲンハイマー、マネージャーのチャス・チャンドラーらと語りあう様子も収められている。


『ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス:ライヴ・アット・ザ・ハリウッド・ボウル1967』

2023年11月10日世界同時発売
英文解説の完全翻訳・歌詞・対訳付
SICP6552 ¥2,640(税込)

1.イントロダクション
2.サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド
3.キリング・フロア
4.風の中のマリー
5.フォクシー・レディ
6.キャットフィッシュ・ブルース
7.ファイア
8.ライク・ア・ローリング・ストーン
9.紫のけむり
10.ワイルド・シング

◆ジミ・ヘンドリックス オフィシャルサイト
この記事をポスト

この記事の関連情報