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カトリーヌ・ドヌーヴが見たレバノンの現状【東京フィルメックス】
2008年11月29日 15時17分 [映画祭]
『私は見たい』場面写真

2006年のレバノン侵攻の後、チャリティーイベントのためやってきたカトリーヌ・ドヌーヴが町の現在の様子を見るために出掛け、その姿をクルーが追うというドキュメンタリー形式のフィクションである。しかし有名女優がレバノンの現状を見せる低予算映画に色を添えたというような単純なものではない。ドヌーヴとレバノン人アーティスト、ラビア・ムルエの会話と旅の映像で綴られていくという作りこそシンプルだが、ドヌーヴが荒れ地や瓦礫の町に立つだけで、そこに“生”が根を張っていくかのような存在感を見せるのだ。その姿は揺るぎない強さを感じさせ、終わった大地に希望と肯定を与える。まるでギリシャ神話のように。

彼らの旅には爆弾や戦闘機は映らないが、だからこそリアルな紛争地帯の現実が見えてくる。ムルエが祖母の家にドヌーヴを連れていったとき、村は丸ごと瓦礫の山と化している。家が破壊されたことよりも、道すらなく、家の場所がまったくわからない事実にムルエは立ち尽くす。迷子の子供のように途方にくれて。ドヌーヴは戦闘機が通り過ぎるときの、映画とは違う実際の爆音と振動の恐怖に脅え、国連軍の車両が見えてくると国境の紛争地帯に近いとわかり緊張が走る。見えているものよりも彼らのリアクションを通して、その光景の意味を知る。

最も興味深かったのは、行きに破壊された町を見せた旅が、帰りにその“行方”を見せたことだ。延々と続く海岸線の工事現場では、破壊された町の瓦礫を集めて粉砕し、海に捨てているのであった。宗教も貧富の差も住んでいた場所も年齢も関係なく、すべての建物と思い出がミックスされ一緒に海に還っていく。その皮肉で奇妙な光景はどんな紛争についての記事よりも多くを語っている。しかし目に映ったたくさんの国の現状以上に、ドヌーヴはムルエを通してレバノンを知ったことだろう。ラストシーンでの彼女のほほ笑みは、対話がもたらす未来を暗示している。

作品評価:★★★+1/2  木村満里子

コンペティション作品『私は見たい』
■東京フィルメックス

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